韓国→リーダーシップの崩壊

思わず背筋が寒くなった。12月5日にニューヨークからソウルに向かう大韓航空KE086便がランプリターンしたという呆れたニュースがAFP通信をはじめ外電が報じだしたすぐに思いだされたのがセウォル号だ。船長が沈む船から乗客を捨てて脱出したのも、機長が副社長命令といって飛行機を戻したのも同じ犯罪行為だ

2014年はリーダーシップが音を出して崩れていく大韓民国を目の当たりにする年となった船長と機長は通る場所に海と空の違いがあるだけで、無条件で乗客の安全の責任を負わねばならない最終決定権者だまさにリーダーである。だからこそ彼らが操縦席に座った瞬間、私たちはすべての権限と責任を彼らに委ねてきた。職務遂行中に彼らが従わねばならない対象は、副社長でも大統領でも、法王でも神様でもなく、規則と法だけだ。そのリーダーの判断と行為を法で保護しているのは、それだけの義務も伴うからに他ならない。

セウォル号と大韓航空086便の差
 市民社会からそんなリーダーの権限を与えられた機長たる者が、たかだかマカダミアなどで激昂した副社長に事務長を放り出せと言われ、機体や乗客の安全に問題が生じた時だけにランプに戻れる法を犯したということは、乗客を死地に追い込んだ行為となんら変わらない

旅客機において事務長はサービスの責任だけを負っているのではない。事故が起きれば機長と共に客室乗務員を導き乗客の安全の責任を負わねばならない極めて重要な地位にある。機長がそんな事務長を放り出して飛行を続けたということは、リーダーとして同僚を守ることが出来なかった道徳的責任だけでなく、非常事態に備える法的義務まで破ったことになる

米国を行き来する国際線旅客機を運航させる機長ほどの人が、そんなことも知らなかったはずがない。もし大韓航空KE086便が非常事態に陥ったらどういうことになったであろうか。副社長と機長はいち早く脱出し、事務長がいない客室で乗務員は慌てふためき、その間に乗客は座ったまま死んでいかねばならなかったか。それがまさにセウォル号だった

セウォル号と大韓航空KE086便の差はたった一つ。一方では事故が起き、他方では事故が起きなかっただけだ

事故が起きるか起きないかの確率は常に半々だだから旅客船や旅客機のように人命に関わる業種ではたとえ0.1%の事故の可能性しかなくても100%の事故確率を前提に訓練するのが国際慣例だ大韓航空086便は事件後に起きている事態を見ただけでもセウォル号を想起させるに十分だ

大韓航空という企業の事件の対処過程、大韓航空と国土交通部公務員の癒着関係、証拠隠滅の試みといった有様を見るとセウォル号と何一つ変わらない。事故が起きなかっただけでも幸いだ。だから背筋が寒くなった。一度驚かされた者が似たものを見ただけで驚いてしまうように。

もし機長が副社長のあのばかげた命令を無視したままランプリターンせずに同僚事務長と共にソウルに来たとしたらどうなっただろうか? 大韓航空という族閥会社の体質から考えれば、機長はクビにされた可能性が高い。「副社長の不当な命令に逆らった機長」、「原則に従って同僚を守り乗客の安全を優先した機長」、「その結果クビにされた機長」。セウォル号で傷ついた私たちが本当に聞いてみたかったニュースだ。機長には酷な話に聞こえるかも知れないが、それこそ多くの命を預かる職業人が守らねばならない名誉であり自尊心ではないのだろうか。リーダーシップ不在の大韓民国が待ち望んだ英雄の出現は残念ながら想像の中で消え去った。こんな話をしていて虚しくなる。守るのが当たり前の原則をめぐり英雄まで持ち出さざるを得ないこの現実が。

国の品格を持ちだす韓国の実像
結局、セウォル号も大韓航空のランプリターンもリーダーシップに関わる問題だ市民社会が時間と経験を通して作り上げた原則を守るのがリーダーに他ならないその原則を守り通すのがリーダーシップである

韓国の2014年は総体的にリーダーシップ不在の一年だった

船長も機長も副社長も大統領も、すべてリーダーシップ不在のまま沈没した

まともなリーダーがいない韓国にはなに一つまともなことができない。それがいつの頃からか「国の品格」という正体不明の単語を口にしてきた大韓民国の実像である

正直に言うと、外信記者として20年以上も仕事をしてきて、今年ほど韓国という国が恥ずかしいと思ったことはない。今年ほど答えることができない多くの質問を浴びせられたこともない。今年一年間に会った多くの外国の友人のなかでセウォル号のことを口にしなかった人は一人もいない。バンコクやジャカルタのような都市の友人だけでなく、津波の被害を受けたアチェに住む友人の口からもセウォル号の話が飛び出した。「船長はなぜ逃げたんだ?」、「救助が適時にされなかったのはなぜなんだ?」、「大統領が7時間も消えたのはなぜなのか?」、「政府はなぜ犠牲者を助けてあげられないのか?」…。話の最後に「なぜ?」とたたみ掛けてくる質問の真意は皮肉であり、叱責であり、誹謗だった

明快な返事すらできない私は情けなくなるばかりだった。私に分かることは何もなかったからだ。沈没からはじまり救助、対策、捜査、裁判しかり、しかもリーダーの役割を果たすべき大統領の態度も疑わしくなることばかりだったそのうえ政界やマスコミも当てもなく闇雲に動き回っていた。その間に「大統領の消えた7時間」を報道した『産経新聞』が告発される事件まで重なり、私は外信の友人たちから韓国の代表選手としてほとんど取り調べを受けるように扱われた。こうして一年を過ごし友人たちの口からセウォル号が少しずつ消えていくかと思われた矢先の12月に再び大韓航空ランプリターン事件が起き国際的規模の恥にあった。「転生を信じるアジア(韓国)の人々は死を恐れないはずだ」とセウォル号の災難事故を皮肉ったある記者が、「飛行機だったら簡単に戻せるからね?」と私を苛立たせた。こうして不快な年末を迎えることになった。考えてみれば今年はずっと想像もつかない超現実的体験をしたような気がする

政治的だって?市民のすべての行為は政治だ
2014年を数日残し再びセウォル号を振り返る。歴史に登場する大型海難事故の記録に目を通した。どこにもなかった。セウォル号のように船長や救助隊は言うまでもなく大統領や政界に至るまで総合的なリーダーシップの不在が犠牲者を生みだした例はいくら目を凝らしても探し出せない。事故の背景にしても、セウォル号のように企業と官僚のありとあらゆる不正腐敗に加え不法運航や未熟運航まで幾重にも重なったケースはない

大型海難事故にともなう人命被害は、1987年に4386人の犠牲者を出し最高記録を打ち立てたフィリピンのドニャパス号のタンカーとの衝突で、2002年に1864人の犠牲者を出したセネガルのジョラ号が台風で、そして1912年に1517人の犠牲者を出した英国のタイタニック号が流氷と衝突して沈没したように、ほとんどが火災、過剰積載、氷山、台風、運航未熟、救助失敗といった原因の一つか二つが重なって起きているそのいずれにもセウォル号のような総合版はなかった

犠牲者数からみると早くから大洋を牛耳ってきた英国が100大海難事故のうち37件を記録し圧倒的1位を守り、8件の米国がその後に続いた。アジアのインドネシアが5件で3位、そして日本、フィリピン、中国、インド、バングラデシュ、ヨーロッパではドイツ、スペイン、カナダ、ロシアがそれぞれ3件を記録し4位圏を競っている。韓国は1993年に292人の犠牲者を出した西海フェリーで100位になったのに続き、今年304人の犠牲者を出したセウォル号で92位にまで上がり、オランダとともに2件で5位圏にある。

その100大海難事故の記録でセウォル号のように初動段階でリーダーシップが失われ犠牲者を生んだ例は決して多くない。2012年に32人の犠牲者を出したイタリアのコスタ・コンコルディア号を除けば船長が真っ先に逃げてしまったケースはどう探しても見つからない。100大海難事故では、後に船長が死のうが生きようが、ほとんどすべての船長が第1次救助作業に身を投じた記録が出てくる。誇張はされているものの最後の瞬間まで乗客を待避させ船とともに消えた船長はタイタニック号のような映画的想像力だけではなかった。それが海の男が伝統のように考えてきた名誉だった。船長のリーダーシップとはまさにその名誉から始まったものだ。ところがセウォル号はその名誉をいとも容易くかなぐり捨ててしまった

300人を上回る大切な命を海に沈めてしまったセウォル号で私たちは骨身に沁みて習ったことがある。リーダーシップは時により救護装備になり殺傷武器にもなるという事実だあれほど簡単にリーダーシップが崩れてしまった社会は、今度はその犠牲者家族を道端に追い出した。そんなことをしておいて最高位級のリーダーである大統領やその取巻きは「犠牲者家族はあまりに政治的だ」と詰め寄り、さらに野党を名乗る者たちやマスコミまで徒党を組んだ。政治的だって?市民のすべての行為は政治だ。そんなことも知らなかったのか。不愉快な政治家や政治学者が話す政党政治だけが政治なのではない。

なぜ犠牲者家族はあれほど懸命に政治をしなければならなかったのかリーダーシップが壊れた社会では市民には当然政治をする権利がある市民を保護することもできない不良なリーダーシップが横行する社会で政治をするなというのは、座して死を待てと言っているのと同じことだ。それがセウォル号だったのであり、私たちはそうして花のように美しい子供たちを見殺しにした。

参考 ハンギョレ新聞 2014.12.27

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