認知症→1000万人時代

最近、「一人でうちのクリニックを受診する人」が増えてきています。何を今さら当たり前なことを、と思われるかもしれません。確かに風邪を引いたとか、頭が痛いとか、そういうときには自分で病院に行きます。一人で受診ができなければ、誰かに付き添ってもらう。自ら受診するのは、当たり前の光景です。

ところで「うちのクリニック」というのは、認知症や将来認知症になる可能性の高い「軽度認知障害(MCI)」の人々を対象に診療している、東京都三鷹市にある「のぞみメモリークリニック」のことです。そうなんです、認知症となると話が違ってくるのです。最近、2割くらいは、認知症が気になって一人で受診されます。つまり、今までは認知症の専門外来には、家族やケアの専門スタッフが、診療が必要だと思い、本人を連れて行くのが当たり前でした。今、たしかにまだ連れられてくる人々が大半なのですが、認知症が気になり、自らの意思で受診する人々が少しずつ増えています自ら受診する姿は、通常の医療では普通なのですが認知症医療の現場では、当たり前ではなかったのです

◇診断を伝える時

診察室での話です。受診者は高山進(仮名)さん、68歳、一人。

高山さん 「先生、前回の検査結果はいかがでしたか?」

私 「まず採血させていただいて、いくつかの項目についてチェックしました。血液検査上、問題がないようです。次に頭のMRI画像です。ここが側頭葉と言われている頭の横の部分ですが、その中に見えるのが、海馬、という部分です。記憶の入り口のような役割があります。その部分が、おそらく以前よりも痩せています。さらに神経心理検査という質問形式の検査をいくつも受けていただきました。この結果を見ても、やはり、外の情報を脳に焼き付け記憶する機能が、同世代の人々にくらべて低下しています。その神経心理検査の一部ですが、長谷川式とMMSEいう認知症の簡易検査での得点は23点、20点でした。これらの簡易検査では、認知症と健常の境目の点数は、その人の教育歴などの状況によって20点とか26点とか言われています。高山さんの教育歴を考えると、認知症の領域です画像の結果やその他の所見と合わせて考えると、現時点での診断名はアルツハイマー型認知症です

高山さん 「(神妙な面持ちで)やはりそうですか。わかりました」

私 「いま、早口で説明しましたが、この話は、文字にして、後日、紙でお渡しします。説明について忘れてしまっても心配はありません」

高山さん 「(小声で)そうですか。ありがとうございます」

私は、結果票から目を離し見上げました。高山さんの目は下を向き、口は真一文字に結ばれ、悲しんでいるような、とまどっているような顔で、表情はこわばっていました。しばらく沈黙が続きます。唐突に意を決したかのように話し始めました。

高山さん 「先生、これ以上悪化しないような手って、あるのですか。世間では認知症予防っていろいろ言っていますでしょ」

逆に、私が戸惑います。こんどは私が耐え切れず、「んー」、言葉にならない言葉を思わず発してしまいました。

私 「たしかにいろんなサプリがありますね。脳トレ、なんていう人もいますね。運動はいいと言う人は多いです。たしかに海外では『心臓にいいことは脳にいい』とも言っています。そういった意味では認知症の薬もそうです。しかし、どれもこれも、元に戻したり、進行を止めたりする効果は知られていません」

どの専門家も共有できる確実な証拠のあるものは薬です。それでも、認知機能の低下はします。いわんや他のものをや。

私 「人は年を取り、しわが増え、白髪がふえて、筋肉が衰えます。それでも、だからといって、それだけで絶望の淵(ふち)に追いやられることはあまりないです。ある部分では、衰えの一部かもしれません」

高山さんは真剣に聞いてくれている。そもそも、認知症が心配だからこそ来院されたはず。しかし実際に自分の病名を聞き、深いショックを抱え込んでしまいました。いまや、どんな慰めの言葉も役に立ちません。高山さんの顔の険しさは変わらない。

「社会のお荷物」「なったらオシマイ」というイメージ

 「認知症ってどういうイメージでしょうか」と問われたときに、誰でもある程度同じようなイメージを持ちます。我々が認知症に対して抱くイメージは、身内の認知症、テレビの認知症、新聞の認知症、専門家の講演会の認知症、喫茶店で茶飲み話の認知症など様々な「認知症」から形づくられます。そういう過程を経て、個々人が認知症のイメージをつくる。このイメージ、人を超えて、ある程度共通している。この共通項がいわば、今の認知症を取り巻く文化の形です。

夫が認知症になるくらいならガンの方が良かった」とか「認知症は単なる社会のお荷物」といった言葉を聞いたことがあります。今は、まだそういうイメージを持つ人々が多いのかもしれません

「認知症になったらオシマイ」というのも聞いたことがあります。ところで、オシマイ、ってなんでしょうか。認知症そのものは命を奪うものではありません。高山さんの表情の裏にあるもの。高山さん自身が持つ認知症のイメージがあります。そして今まさに、自分がその認知症になったのです。自分の人生にかかる暗雲そのものの意識が、その表情の裏にあります

私 「認知症になって、今の時代、それを止める手段はありません。しかし、認知症になっても、命は続きます。苦しくなったり、悲しくなったら、いつでも来てください」

私 「そうだ! うちのクリニックで、まだ月に1回しか行っていないのですが、認知症の人だけの寄り合いがあります。お互いに認知症になってその体験を交換し合う場です。ご家族も付き添って来られる人もいますが、その場合には、ご家族はその話し合いには参加されずに別の場所で待っていただいています。まだ空きがありますから、気持ちが向けば、ぜひおいでください」

それから、認知症の薬の話を一通りします。副作用、期待できる効果、その効果を客観的に測る方法など。詳しくは、機会を改めます。私の説明が終わったら、飲むか飲まないかは薬を飲む本人に決めてもらいます。そもそも、薬は誰のためにあるのか。飲むか飲まないかの判断も、医療の側は説明を尽くし、本人が決める。普通の医療であれば当たり前のことなのですが、これまでの認知症医療では、私も含めて、しっかりと向き合ってきませんでした。なので自戒を込めて、本人に尋ねるようにしています。

私 「薬を飲む、飲まないはご自身でお決めください。いま即決しなくてもいいですよ。薬を飲む、飲まないにかかわらず、お付き合いは続けましょう」

◇認知症1000万人時代。目指すは「認知症になっていい、まちづくり」

一人でうちのクリニックを受診する人が増えています。認知症の病名の診断もさまざまです。ご自身が深刻に自分の認知症のことが気になって受診される場合、やはり検査をすると、実際に認知症であった、ということはよくあります認知症は誰がはじめに気づくのか。それは本人ではないか、と思わざるをえない現象です。認知症を取り巻く文化は、いま確実に変化してきています。

厚労省の報告書によると、認知症の人の数は今や500万人を超えるらしい将来認知症になる可能性の高い軽度認知障害の人を合わせると、なんと1000万人を超えるらしい。そういう日本に私たちは住んでいます。これからもっと増えるらしいのです。もうひとつの数字群をここで示します。年齢階級別認知症有病率というものです。たとえば、80歳から84歳までの人のうち、何%が認知症なのか、という比率です。(表1)

これをみると、80歳代で合計が50%を超えますので認知症およびMCIと、そうでない人々の比率が同じになります。長寿の国、日本。さまざまな苦難を超え、生き延びた人であれば、だれもが認知症になる可能性があります。そういう時代を我々はどう乗り越え、次世代につなぐのか。

医療技術の発達を願うことも大切です。それと同時に、いま認知症の人々、そして、近い将来に認知症になる私を含む大勢の人々のために、もっと確実なのは、認知症を取り巻く文化を変えることです「認知症になって『も』『安心できる』まちづくり」、とは最近ではあちらこちらで見かける標語になっています。しかし、どうもこの『も』と『安心できる』という言葉には妥協を感じます。認知症を、人ごとのような視点で捉えているような感触があります。いっそのこと、これをとってみましょう。「認知症になっていい、まちづくり」です。ずいぶんと決意の厚みが変わりました。そこに向けて我々は時代を漕こぎ出さなければなりません。自らが動かなければ「自分ごととしての認知症の時代」にならないように思うのです。

木之下徹(きのした・とおる) のぞみメモリークリニック院長
東大医学部保健学科卒業。同大学院博士課程中退。山梨医科大卒業。2001年、医療法人社団こだま会「こだまクリニック」(東京都品川区)を開院し認知症の人の在宅医療に15年間携わる。2014年、認知症の人たちがしたいことを手助けし実現させたいと、認知症外来「のぞみメモリ―クリニック」を開院。日本老年精神医学会、日本老年医学会、日本認知症ケア学会、日本糖尿病学会に所属。首都大学大学院客員教授も務める。

読売新聞(ヨミドクター)2016.04.21

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