聞く銅鐸→科学的に裏付け

南あわじ市の「松帆銅鐸(まつほどうたく)」2組4個のコンピューター断層撮影(CT)スキャンは、内部に音を鳴らす振り子「舌(ぜつ)」を収めた状態を明らかにし、「聞く銅鐸」の実態を科学的に裏付けた古い銅鐸が多く見つかっている淡路島松帆銅鐸がつくられた弥生時代前期末~中期前半(紀元前3~2世紀)、同市内には農耕を営む集落があった祭器とされる銅鐸を打ち鳴らし、人々は豊作を祈ったのだろうか

 2組4個には砂が詰まっていた。そこで、医療用CTより高エネルギーのエックス線で金属内部を透視できるCT装置を活用。4日かけて銅鐸を1ミリ単位で断層撮影し、画像計600枚以上から3次元画像を構築し、内部を再現した

舌を伴うことが分かった銅鐸。つくられたころ、人々は-。

一帯に広がる三原平野。当時の大規模集落跡として「井手田(いてだ)遺跡」(同市阿万上町)、「神子曽(みこそ)遺跡」(同市賀集鍛治屋)がある

前者から20を超える竪穴住居跡、水田跡、和歌山産の弥生土器などが出土後者では墓も確認した周辺の遺跡から漁網に使う土のおもりも出土し、南あわじ市教育委員会の定松佳重さんは「稲作を営む農耕社会で漁労もしていた」と推測する

初期の銅鐸は松帆銅鐸のような「聞く銅鐸」、いわば楽器の一種だった農耕祭祀(さいし)で使われ、木などにつるし、本体または中の舌を揺らし鳴らしたと考えられる2個ずつ入れ子状に埋められていたため、「二つセットで鳴らしたのかも」と想像する関係者も

難波洋三・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長は、銅鐸と舌をセットで埋める特異性に注目し「埋めたのは淡路の地域勢力だった可能性がある

同市松帆地区では今回発見の7個以外に、江戸前期に8個出土の伝承記録がある。同地区の古津路(こつろ)で銅剣14本も見つかった。だが、大量の青銅器を集められるほどの勢力の存在は知られていない

難波センター長は「当時の淡路は、西から近畿への文化の入り口。有力集団がいたことを示す遺跡が将来、見つかるかもしれない」と期待する

参考 神戸新聞next 2015.06.27

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