朝鮮日報日本語版→地震と日本人

 数年前、日本でかなり大きな地震を経験した夕方のニュースを見ていた時だった。まず、建物がきしむ音が化け物の泣き声のように響き、揺れが押し寄せてきた。その恐怖に汗が出た。その後、テレビで報道局の花が大きく揺れるのを見た。キャスターは沈黙した。彼の視線には、私が感じたのと同じ恐怖の色が見えた。静寂が続いた数秒間、みんな同じ考えをしただろう。「死ぬかもしれない。もう止まって…」。奇妙な経験だった。誰もが同じ運命を抱えて生きる同質感だった

 5年前の東日本巨大地震時に被災地を取材した高速道路は寸断され、2車線の国道しか通れなかった。東京から福島まで普段なら3-4時間の距離だが、当時は22時間かかったほとんどが故郷の家に向かう車だった。家族の生死も分からないまま走るドライバーもいた。だが、誰もすいている反対車線に侵入して走ることはなかった誰かが反対車線に入って追い越し、通行が乱れれば、二日過ぎても到着できなかっただろう

地震の現場はまさに惨状そのものだったが、号泣や絶叫は聞こえなかったあってはならないことがあった時、人は怒り、絶叫する。地震はそうした次元をはるかに超えるものだ怒ったところでどうにもならなければ、我慢するしかないということだろうか。1・2個のおにぎりでしのいでいたお年寄りたちは、雪に覆われた底冷えする体育館で次々と亡くなった。救援物資は数日経過しても届かなかった。日本は先進国だというのに、どうしたことだろうか。それでも人々は耐えた。

このほど、大きな地震が九州地方を襲った地震の規模は21年前に6300人が死亡した阪神・淡路大震災の時とほぼ同じだという。今回の地震では40人余りが死亡した。阪神・淡路大震災の被災地は大都市で、今回は地方で起こった地震なので比較は難しい。しかし、当時と何かが変わったのだろう。日本は地震を研究し続けてきた。技術を開発し、建物の耐震基準を少しずつ引き上げたそのおかげで、地震の規模がほぼ同じでも、被害規模はより小さくなっている。今回もその効果があったのだろう。号泣し、絶叫し、デモをし、断食闘争をするのではなく、忍耐して研究するのが日本のやり方なのだ

日本全国を歩き回って出会った自然は、思っていたものよりもはるかに壮大で豊かだったその多くは火山が作り出したものだ日本が誇る雄壮な山脈や珍しい温泉などがそうだ自然は恵みと同じくらい恐怖を与える美しい日本は火の玉の上に浮いているのだ。列島を飲み込む大地震や富士山大爆発が今すぐ起きても不思議ではない。神戸と福島がそうだったように、九州地方もまもなく復興するだろう。韓国人のしっかりとした生活の基盤である韓半島(朝鮮半島)にあらためて感謝の気持ちを抱きつつ、日本の人々に心からお見舞い申し上げ、応援していきたい。

朝鮮日報日本語版2016.04.18
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