日本の源流を訪ねて→熊本甲斐神社

手足の神様 やりがいにも御利益

豊臣秀吉が、天下統一に邁進していた天正15(1587)年、肥後国(今の熊本県)で、地元有力者「国衆」による一揆が起きた。秀吉の命で肥後を治めた佐々成政の太閤検地に反発してのものだった国衆は御船城主の甲斐宗立(そうりゅう)らと、隈本(熊本)城を攻めた。

 一揆は一時、城を包囲するほどの勢いをみせたが、後に秀吉の大軍勢の前に敗れた宗立は手足に致命傷を負い、今の嘉島町に逃れた。そこで、住民の手厚い看護を受けた

宗立は感激した。

このお礼にわが亡き後は、この地で『手足の神』になろう

こう言い残し、命果てたという。

創建された甲斐神社には、手足の無病息災を願う参詣者が後を絶たなかった。いつしか「足手荒神(あしでこうじん)さん」と呼ばれるようになったという。

普通、神社の絵馬は、上が屋根の形をしている。だが、甲斐神社の絵馬は、手足をかたどっている。江戸時代に奉納されたとされる手形や足形も残っているという。

宗立が亡くなったとされる2月15日には毎年、例大祭が営まれる。今年も数千人が訪れ、境内はにぎわった。社殿には、手足の病が全快したとして、ギプスや松葉づえが数多く奉納されていた

実は、足手荒神には宗立の父、甲斐宗運(そううん)も祭られている

 宗運は肥後国の大名、阿蘇氏の家臣で、戦上手で知られていた薩摩の島津家は「宗運がいる限り、肥後には侵攻できない」と恐れたほどだ。その武勲で、宗運は勝負事の神様として祭られている

神社では鳥居に石を投げ、上部にうまく乗れば願いがかなうと、信じられる。

荒尾征吾宮司(44)は「地盤のせいか、石造りの鳥居が年々地盤沈下している。それで、ここは願いがかないやすいんですよ」と、笑いながらささやいた

手足のけがや病気をなんとか治したい-。すがるような思いで、早朝から参拝者が「手足の神様」に静かに手を合わせる。400年以上も前から続く風景だ

参拝者は建設・工場現場の関係者のほか、三味線の演奏家やスポーツをする人ら、手足を使う人が多い。

荒尾宮司は「八百万の神様とはいえ、手足に関する神様は全国的にも珍しい。『甲斐』神社ということで、生きがいややりがいが出るといった、ご神徳もある。いつまでも慕われる神社でありたいですね」と語った。(村上智博)

=毎週火曜日掲載

熊本県嘉島町上六嘉(かみろっか)2242。熊本バス「足手荒神入り口」から徒歩10分、「東小学校入り口」からは徒歩5分。自動車なら、九州道の御船インターチェンジから約5分。足手荒神社務所(電)096・237・2082。

産経新聞2016.04.12

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