抗日勝利70年式典→覆い隠せぬ矛盾

「抗日戦争勝利70年式典」は、9月3日、北京において70発の礼砲とともに始まり、外国兵、退役兵を含む1万2千人の兵士、さらに最新式ミサイル部隊が行進し、上空では記念飛行が行われ、数万発の風船と鳩の放出・飛翔をもって終了した。趣向を凝らしたにぎにぎしい記念パレードであった。

記念式典に対して各国が取った態度は、中国として満足できるものではなかっただろう。元首級で参加したのは約30カ国だけそこにロシアのウラディミール・プーチン大統領、韓国の朴槿恵大統領、潘基文国連事務総長は含まれていたが日本や欧米諸国は参加をしなかった。これらの国は招待を受けたものの、他の用事を優先して欠席としたのである

世界から注目を集めたこの式典の意図は何だったのか

 実は、習近平主席には大きな戦略があった

■ なぜ大々的に祝賀したのか

これまで中国は抗日戦争勝利記念を大々的に祝賀していなかった。

日本と連合国が降伏文書に署名したのは1945年9月2日、ミズーリ号の艦上であり、その時に中国を代表して出席していたのは中華民国の徐永昌将軍だ共産党軍からの出席者はいなかったその時点で中国を代表していたのは中華民国なのでそうなったのは当然だったが、中華人民共和国としては対日戦勝を記念すれば、どうしても中華民国の業績をたたえることになるのであまり熱心になれなかったのだろう

 中華民国が3日を記念日としたのはその日を祝日としたからであるというのが普通の説明であるが、なぜその日を祝日としたのかよくわからない西側諸国は2日をVJ day(Victory day against Japan)として、節目に記念行事を行なっている

中国は中華民国にならって対日戦勝記念日を9月3日としたのだろう。そのせいか、9月3日を記念日とすることはなかなか定着せず、同じような決定が1951年、1999年、2014年と何回も行なわれた。これだけでも異常だが、2005年に中国外交部スポークスマンが、中国は以後8月15日を抗日戦勝記念日とすると公に説明したこともあった。今でもインターネット上では8月15日説が唱えられている

このような中国の不確かな対日戦争勝利記念についての考えを一変させる機会となったのは、今年5月9日に行われたロシアにおける対独戦勝記念行事であった

旧ソ連の崩壊後、ロシアは1990年代を通じて対独戦勝記念行事を控えめになっていた。ところが、プーチン大統領は2005年の60周年に際して大規模な祝賀行事を復活させ、軍事パレードも行った。西側からは小泉純一郎首相(当時)を含む各国首脳が出席した。しかし今回は、ウクライナ問題の影響を受けてモスクワでの記念行事に米欧の首脳は出席しなかった

■ 他の戦勝国との連携に必死

中国からは、2005年にも胡錦濤国家主席が出席した。ところが、中国は対独戦には参加していないことから、主賓としての扱いは受けなかった。しかし、西側の首脳が出席しない今年の記念行事は違っていた。中国の参加はホスト国のロシアからも重視され、夫人とともにプーチン大統領の右隣に着席した習主席は注目を集めた。「主賓」と呼んだ報道もあった。また、中国の儀仗兵が行進に参加し、パレードを盛り上げた

実は、習主席はモスクワへ行く以前から、対独戦勝記念行事への出席を9月3日の抗日戦勝記念と関連付けており、ロシア側からの招待に対し、プーチン大統領が北京の行事に出席することの確認を求めていた。これにプーチン大統領は積極的に応えた

習主席はこの返事を得て喜んだが、単に行事が盛り上がるから喜んだわけではない。モスクワでは対独戦勝、北京では対日戦勝となると比較的狭い目的となるが、そうではなく、もっと大きな目的を掲げることに繋がると考えたのだ具体的には「反ファシズム」や「反帝国主義」を掲げることである。これが中国にとって好都合と判断したのだ

習主席は将来、反独ファシズム・反日軍国主義戦勝記念活動を中ロ共同で開催することを希望する」と述べたと報道されたこともあった(香港の中国系紙『文匯報』1月27日付)。

 「共同開催」は実現しなかったが、今回、その一歩手前まではたどり着いた。中国は、歴史的には存在しなかったドイツとの戦いにも、「反ファシズム」「反帝国主義」などの戦争目的を掲げることで、まるで大きな戦いに参加していたとの印象を作り出そうとしているのだ

中国は、戦争の大きな目的を掲げることが大国としてふさわしいことだと考えたのだろう歴史的には、第二次世界大戦が終わった時点では共産党軍は地域的な勢力に過ぎなかったのだがロシアとともに「反ファシズム」を戦ったというシナリオであれば、中国は以前から、第二次世界大戦の時から大国であったかのような印象になるからだ

現在進めている歴史戦略については、行き過ぎも表れている。

たとえば、毛沢東の長男で後に朝鮮戦争で戦死する毛岸英がベルリンに攻め込んだ部隊に参加していたという作り話が出回ったことがある。しかし、そういう事実はなかったという批判がインターネットなどで流されたことから、この話は消えた。また、1943年のカイロ会談に出席した蒋介石の写真が毛沢東にすり替えられたこともあった

■ 戦争の位置づけが定着せず

共産党が戦争勝利について語ることの矛盾を理解しているからこそ、無理なことをせざるをえないわけだ。このようなあからさまな歴史の書き換えは、語るに落ちるものである

ここで注目すべきは、穏健な歴史観の再構築にも腐心しているようにみえることだ中国では、長らく使ってきた「抗日戦争」と呼ぶのではなく、「反ファシズム」「反帝国主義」のほうがよいとする説がある日本と戦った主体は中華民国であるが、ファシズム、帝国主義と戦ったのは共産党軍である、と説明すれば、整合的になるからだ

ただし、この考え方はまだ完全には確立していない。今回の習主席の演説でも、「抗日」と併用されている。とはいえ、戦争目的を戦略的見地から拡大あるいは調整していることがうかがえる

日本では、ロシアにおける対独戦勝記念と中国における対日戦勝記念を相似形で見る傾向がある。北京での記念行事への出席を安倍晋三首相が求められた際、ドイツのアンゲラ・メルケル首相がモスクワでの行事を外して訪ロした例にならうのがよいという考えがあったのもその表れだ。が、「反ファシズム」「反軍国主義」の大傘の下で対日戦勝や対独戦勝を記念し、またそうすることによって大国としての地位を固めようとする習主席の戦略がある限り、そのような皮相的な対応は禁物だ

もちろん、中国としても大国化戦略だけで日本に接しているのではなく、対日関係の重要性も認識している一般論としては、将来、戦勝記念を和解促進の機会として役立たせることもありうるだろう。和解はもちろん日本側でも努力すべきことである。しかし、北京での行事がそのようなものになるにはまだ一定の時間が必要だろう。日中関係の改善は、とくに政治面では、一筋縄ではいかないかもしれない

とはいえ、国と国の関係は政治がすべてではない経済面で中国はすでに日本とも、米国とも、そのほかの国とも相互に依存しあう関係になっている近々行われる予定の日中韓3国の首脳会談では、政治問題について真摯に話し合うこともさることながら経済問題について積極的に話し合うことが期待される経済は合理性を要求するので政治的な意図に基づく主張の制約要素となるのだ今後の日中関係の改善のカギとなるのは、両国がまず経済面で冷静に話し合うことだ。そのことをベースとして、3国がともに安定的に発展できる方策を模索するべきである

参考 東洋経済オンライン 2015.09.05

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