年間10億人動員!→中国レッドツーリズム

年間のべ10億人を動員する「レッドツーリズム」

 中国で流行りの「レッドツーリズム」(紅色旅游)をご存知だろうか。

「レッドツーリズム」とは中国共産党の歴史に関する場所をめぐり、革命史や革命精神を学習・追慕する旅行のことである2004年12月に中国政府によって打ち出され現在では年間のべ10億人以上を動員する一大イベントに成長している

その最大の目的はもちろん、プロパガンダ(政治宣伝)だ。いまや、古臭いポスターや国策映画などでは、ひとびとの関心を十分に引くことはできない。そこで、現在にふさわしいプロパガンダのひとつとして、「観光」が注目されているのである

観光は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚すべてを刺激できる。うまく使えば、これほど効果的なプロパガンダ手段はない日中戦争の遺構をめぐり、ひとびとが「中国共産党は、こんな僻地で、こんな貧相な環境で、日本軍と頑強に戦ったのか。なんとすばらしい!」となれば上出来というわけだ

今回、私はこのレッドツーリズムに参加し、全国12箇所の重点観光エリアのうち3箇所を訪問した。外国人の目に、中国のプロパガンダ観光はどのように映るのだろうか。

以下では、レッドツーリズムの中核であり、中国政府の意向がもっとよく現れている、国営の革命記念館や戦争記念館の様子を主に紹介したい。

「日の丸」を踏ませる、中国人民抗日戦争記念館

 まず、もっとも有名な戦争記念館を訪ねてみよう。北京南西郊外の中国人民抗日戦争記念館がそれだ。その名のとおり、日中戦争(抗日戦争)をテーマにした記念館である。

 開設は1987年。総面積36,100平方メートルの威容を誇る。これは、上野にある東京国立博物館本館の約1.7倍に相当する。近くには日中戦争の発火点になった盧溝橋があり、あわせて観光できるようになっている

 2015年は、日本にとっては敗戦70周年だが、中国にとっては戦勝70周年にあたる。そこで、同館では同年7月より特別展「偉大なる勝利、歴史への貢献」を開催。展示は全面的にリニューアルされていた

 館内は、「中国の局地的抗戦」「日本軍の残虐行為」「東方の主戦場」「歴史を銘記せよ」など全8部構成。音声ガイドや、CGを使った戦闘場面の再現など、観覧者を引き付ける様々な工夫がなされていた。そのなかでも特筆すべきは、第7部「偉大なる勝利」の展示である

 この展示室では、日本軍の装備品や日の丸がまるでゴミのように雑然と床一面に並べられ、その上に透明の板が渡されている観覧者は、ここを踏まなければ次の部屋に進めない

 展示品を床に埋めるなど、現代芸術でもなければ例を見ない。まるで「踏み絵」である。観覧者は踏みつけて進むか、踏みつけないで引き返すか、選択を迫られる。ここでは中立的に展示を眺めることは許されないのだ。

 多くの観覧者は、それまで日本軍の残虐行為の展示を散々見せられてきたこともあり、躊躇なく部屋に踏み入る。小学校低学年くらいの男子児童など、日の丸の部分を狙いすまして、足をバンバンと踏み鳴らしていた。こうした体験は、テレビやネットだけでは絶対に得られない。まさに全身を使った動員の形である

 また、続く第8部「歴史を銘記せよ」では、昨今の日本の「右傾化」に関連して、新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書や、安倍晋三、石原慎太郎、橋下徹らの顔写真を踏みつける韓国の反日デモの写真が展示されていた

 中国の戦争記念館は、単なる歴史資料の展示場ではない。それは政治とダイレクトに結びつき、積極的にイデオロギーを誇示する。欧米の戦争記念館でも、これほど露骨な展示は類を見ない。とりわけ、日本の学術的で中立的な展示を見慣れた目には、かなり刺激的な光景のように思われた

「革命の聖地」に胡座をかいた、延安革命記念館

 次に、陝西省北部の延安を訪ねてみよう。

延安は日中戦争の間、毛沢東たちが立てこもっていた山間の都市である中国共産党はここを根拠地に、日中戦争と国共内戦を勝ち抜いて大陸統一を実現した。そのため、延安は「革命の聖地」と呼ばれる

延安革命記念館は、同市の北西部に位置する。1950年にオープンした中国でもっとも初期の革命記念館で、2009年に現在の建物に建て替えられた

新築の記念館は、まるで宮殿のように豪壮な作り。長さは222メートル、奥行きは119メートルもある。これは日本の国会議事堂よりも大きい。あまりにも巨大なので、遠近感を失ってしまうほどだ。記念館の入り口まで延々と歩いても、なかなかたどり着かない。

ところが、肝心の展示が建物に釣り合っていない展示室はだだっ広いのに、当時の文物が少なすぎるのだ観客を引き付ける工夫にも乏しい。その結果、白黒の写真パネルや文字の説明がひたすら続くという、退屈な構成になってしまっている

観覧ルートの途中には、当時の街並みの再現や、毛沢東の蝋人形などもあったりするが、いずれも最近になって作られたもの。戦時下の農業生産について説明する箇所では、カボチャ、ジャガイモ、トウモロコシの模型が山積みされていた。豊作ぶりをアピールしているのかもしれないが、明らかにスペースの無駄づかいである

スペースの無駄づかいといえば、土産物コーナーが館内に3箇所もあった。どれも広い部屋に、同じような毛沢東グッズ(バッジ、CD、銅像、ポスターなど)があふれ、変わり映えしない。あまりにも似ているので、道に迷って同じところに戻ってきたのかと思ってしまった

延安は「革命の聖地」なので、努力しなくてもレッドツーリズムの観光客は集まる。いまや交通アクセスはそれほど悪くない。北京から飛行機で2時間ほどだ。また、延安周辺では石油や天然ガスが取れるため、薄利の観光業に力を入れる必要性が乏しいということもある

こうした事情を受けて、延安革命記念館では退屈な展示がまかり通っている。「持てる者の余裕」といったところだろうか。北京の抗日戦争記念館を見たあとだけに、やや拍子抜けしてしまった。

レッドツーリズムに活路を見出す、八路軍太行記念館

 これに対し、延安から東へ300キロほど離れた、山西省長治市武郷県の八路軍太行記念館は対照的である

日本人には馴染みないが、かつてここには八路軍の本拠地が置かれていた八路軍は中国共産党の軍隊で、現在の人民解放軍の前身のひとつとなった組織だ。その関係で、武郷は現在レッドツーリズムの中心地のひとつになっている

延安と同じ山間部とはいえ、武郷は本当にただの田舎町だ大した資源もない。そこで、町をあげてレッドツーリズムを推進している。高速道路のインターチェンジ近くにも、「全国第一のレッドツーリズム・ブランドをめざそう」という横断幕がでかでかと掲げられていた。

そのため、八路軍太行記念館の展示にも力が入っている。同館のオープンは1988年だが、やはり戦勝70周年にあわせて、2015年にリニューアル。建物こそ北京や延安のそれより小ぶりなものの、その分、少しの時間で濃密な展示を観ることができた

まず、延安に比べると、展示物が明らかに豊富である銃火器や刀剣類はもちろんのこと、宣伝用の印刷物、漫画、バイオリン、銅鑼なども取り揃えられている

建国前、中国共産党の支持層だった農民はほとんど文字が読めなかった。そこで、漫画や音楽がプロパガンダの手段として重視された。こうした展示品は、中国共産党が昔からプロパガンダに熱心に取り組んでいたことを教えてくれる。

次に、デジタル技術の活用も目についた。なかでも、CGを使った戦闘シーンの再現は秀逸。画面から戦闘機が飛び出したり、生々しい銃撃の音が聞こえたり、なかなか臨場感があった。また、記念撮影のコーナーには、QRコードで写真をスマートフォンに転送するサービスも設けられていた。

さらに、八路軍太行記念館の隣には、日中戦争をテーマにした遊園地「八路軍文化園」(国営企業運営)まで建てられている。そのなかでは、日本兵に手榴弾を投げたり、玩具の戦車を運転したり、「八路軍大食堂」なるレストランで食事したりできるまさに五感の動員だ。従業員によると、記念館とあわせて訪問するひとが多いのだという

こうしたテーマパークとの連携は、ほかの場所では見られない。武郷がいかにレッドツーリズムに勤しんでいるのかがよくわかる。レッドツーリズムには、このような地域振興の一面があることも見逃してはならないだろう

レッドツーリズムは「反日」か?

 レッドツーリズムというと、日本では「反日プロパガンダ」などとすぐに解釈されやすい。だが、現地調査を踏まえれば、実際はそんな単純ではない。

中央政府にとって、レッドツーリズムの目的はなにより中国共産党の一党独裁体制を正当化することにある。「反日」はあくまでその添え物にすぎない。中国共産党こそが、日本軍を撃退した。だから、同党の一党独裁体制には正当性がある。彼らはこう主張したいのだ。そのため、中国国民党や蔣介石に関する展示は驚くほど少ない

このことは、記念館の配置にも端的に現れている。どの戦争記念館や革命記念館も、必ず最後に歴代の最高指導者、すなわち毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤、習近平の顔写真が掲示されているのである

純粋に日中戦争の記念館ならば、この並びはおかしい。毛沢東と鄧小平はともかく残りの3人は戦争に直接参加していないからだ江沢民に至っては、日本の傀儡として知られる汪兆銘政権の幹部の息子ですらある

では、最近までの指導者が単に並べられているだけかといえば、そうでもない。たとえば、鄧小平に追い落とされた華国鋒などは、あっさり無視されている。実は、何気ない5人の写真は、現在の中国共産党の歴史観を強く反映しているのである

いいかえれば、中国政府は、戦争の犠牲者を5人の指導者に結びつけることで、現体制維持のためのプロパガンダに利用している。こうすることで、犠牲者への追悼は現体制の翼賛につながり、現体制の否定は犠牲者に対する冒涜につながる中国共産党にとって、「反日」はそのための便利な「接着剤」のひとつなのである

その一方で、地方政府にとって、レッドツーリズムの目的は、明らかに地域振興や公共事業にある。武郷のように、これで町おこしを図っているところもある。そのため、日本人の私が訪ねて行っても、批判されたり、面罵されたりすることはまったくなかった。ここでもやはり「反日」は一種の方便なのだ

したがって、「反日」だけでレッドツーリズムの本質をつかむことはできない。「反日」はあくまで表面なのであってその本質は、現体制の維持や経済開発なのである。これを裏返せば、今後の日中関係、政治情勢、経済成長に応じて、「反日」の要素は(良くも悪くも)劇的に変化しうるということだ

年間のべ10億人を動員するレッドツーリズムが、現在中国の一大イベントであることは間違いない。だからこそ、われわれは表面上のギミックに囚われず、広い視野からこれを観察しなければならない。

現在の習近平政権はメディア統制や個人崇拝の強化など、プロパガンダに熱心だと指摘される。この体制との関係でも、プロパガンダ観光の動向は今後も無視できないだろう。

辻田 真佐憲(つじた・まさのり)

現代ビジネス 2016.04.28

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