中国共産党の弱体化やドイツ求心力後退

2008年のリーマン・ショックのように、資本市場における「ブラック・スワン」の存在やその影響を正確に予測することは困難である地政学の問題となれば、さらにその難易度は急上昇する。しかし、予測すること自体は無駄にはなるまい。前回に続いて、現代の地政学における“ブラック・スワン”を検討してみたい

ナシーム・ニコラス・タレブ(1960~)は、一般にはあり得ないと思われる予想不能の現象を「ブラック・スワン」と呼び、それがひとたび起きればシステムに強い衝撃を与え、かつ事後的には当たり前のように記述されるようになることを説いた。2008年のリーマン・ショックのように、資本市場における「ブラック・スワン」の存在やその影響を正確に予測することは困難であり、地政学の問題となればさらにその難易度は急上昇するが、頭の体操を兼ねてその候補リストを作成してみることは、決して無駄な作業ではあるまい

筆者が思いつく5項目のうち、前回、サウジ王家崩壊リスクとプーチン大統領の失脚リスクの2点に触れた。今回は残り3項目の“ブラック・スワン”を紹介する。読者はさらに想像力を働かせ、感覚を研ぎ澄ませて、21世紀の地政学リスクに対応していただきたい

● 3.中国共産党の弱体化リスク

3つ目は、中国である。

国際資本市場では、中国が公表しているGDP成長率の水準を疑問視する声が一般的となっており、実際の成長率は4~5%程度と見られている。だがその経済力の潜在性への期待が消えたわけではない。中国のGDPが数年後には米国を上回って世界最大になる、との予想も根強い。中国経済が日本だけでなく世界全体の経済に与える影響度はますます重要になるだろう

ただし中国における持続的な経済発展に欠かせないのが、政治的安定である

2013年に国家主席に就任した習近平は、5年の任期と三選禁止というシステムから、習主席は事実上2023年までトップの座に君臨することが予想されている

だが、これまで江沢民や胡錦濤が10年間の任期を全うしたからといって、習近平が2023年までの中国を平和裏に統治できる保証があるわけではない前任の2人の指導者には中国経済の驚異的な成長という強力な支柱が存在したが、今日の中国経済は大きな曲がり角に直面している一歩間違えれば急激な景気失速から企業倒産、失業増そして社会不安へといった悪循環に追い込まれかねない状況にあるからだ

2015年は、長い間指摘されてきた中国の経済リスクが市場に露呈した年であった上海株の急落や人民元の下落、そしてその市場の急変動に対する政府対応の拙さは、海外市場における不安を惹起しただけでなく、国民の不信感をも増幅させることになったGDPで見れば米国に次ぐ世界第2位の座にあるが、1人当たりGDPは先進国の水準に遠く及ばず、このまま頭打ちになる可能性も強い。中国政府は対外的に強気の姿勢を保っているが、その一方で、輸出や投資に依存せざるを得ない国内経済の脆弱性は隠しきれなくなっている

国内の経済政策を担当するのは李克強首相である。同首相の「リコノミクス」と呼ばれる経済思想は、高度成長からややペースダウンした成長率へと軟着陸させるために構造調整を図ることを理念としていた市場経済化を促して資本市場を改革し、金融自由化を進める改革路線に投資家は期待したが、そのスタンスは2014年以降すっかりと色褪せてしまった構造改革が中国経済の失速を加速させるという保守派の反発に抗しきれなくなったからである

当初は李首相の経済政策を支持していた習主席も経済成長率の低下傾向に不安感を抱かざるを得なくなった、とも指摘されている。首相の任期も5年で三選禁止と国家主席と同じであるが、市場には李首相は途中降板するのではないかとの観測も流れている改革派として期待された李首相に代わって保守派が経済政策を握って中国が抱える経済問題が先送りされれば市場の大いなる失望感を誘う可能性もある

さらに懸念されるのが、習主席の独裁的かつ中央集権的な政治手法であるいまやその政治的優先度は経済対策から腐敗払拭に移った感もあるがそれが中国の内政の安定性を揺さぶることも想定される

中国経済を現代化された成長軌道へと導いたのは、毛沢東の共産主義一辺倒の時代と一線を画し、社会主義インフラの上に市場経済を導入するという画期的な構造改革を行った鄧小平であった江沢民と胡錦濤はそのレールの上を走り続けたに過ぎない。だがその結果として、民間負債膨張、過剰供給体制、地方財政赤字、政治腐敗蔓延といったマイナスの部分をも拡大させることになるそこに登場したのが習近平であった

習主席も鄧小平路線を継承してはいるが手法は正反対である鄧小平が1人に権力が集中する構造を破壊してコンセンサスを重視する土壌を作り上げたのに対し、習近平は逆に自分にすべての権力を取り戻そうとしているそこには「ソ連崩壊の再来を避ける」という共産党至上主義への執念も感じられる感情的なまでに徹底的な腐敗撲滅作戦も、党内浄化に加えて権力集中という意味があるのだろう

メディアや社会運動の弾圧なども、開かれた市場経済への軌道とは逆行している。かくして、独裁型政治の下で国営企業の経営悪化も国営銀行の不良債権も隠蔽されたまま、過剰供給構造へのメスが入らない可能性も高い。だが、こうした停滞構造に不満を抱く国民が増えれば大国主義を突き進む習主席の地位も安泰ではなくなる

その鍵を握るのは増加傾向にある中間層だろう市場経済の下で豊かになるにつれ、人々は共産党の古いイデオロギーから脱皮していくことになると思われるからだ中国が民主化への分岐点に達するのはそれほど遠い話ではないかもしれない逆に、経済がハードランディングに向かえば、共産党支配を揺るがす社会不安の源泉になることは明らかだ。いずれにしても、習主席の下での中国が潜在的な地政学リスクをどう解消していくのか、世界中が見守る日々が続くことになるだろう

仮に中国内政に異変が生じれば、世界の株式市場に厳しい売り圧力がかかることは避けられまい。為替市場では人民元が急落し、ドルが急上昇して他の新興国通貨もつれ安となるだろう

円に関しては、短期的にはリスクオフの発想から買われる可能性が高いが、中国経済失速の影響を受けやすいとの警戒感から円安材料と見なされることもあり得る。だが中長期的には、日本経済社会の安定性という比較感から円買い圧力が勝るように思われる

また、中国の政治経済の混乱は世界のデフレ・リスクを一層高めることから、グローバルな低成長構造が定着した停滞感や景気後退への警戒感が強まることが想定される

● 4.ドイツの求心力後退リスク

2007~2008年のリーマン・ショックで米国の経済社会に激震が走った後、欧州にもその津波が押し寄せた。アイルランドの金融危機やギリシャの債務危機に続く、ポルトガル、スペイン、イタリアの財政赤字懸念は、各国の頭文字を取って「PIIGS問題」と呼ばれ、ユーロの存続を脅かすほどの暴風雨となったその台風の目になったのは、ギリシャである

ギリシャは2010年6月に総額1100億ユーロ、2012年2月には総額1300億ユーロの支援をEU/IMF/ECB(トロイカ体制)から受けた既存債務についてもリスケジュールを行って、財政改革を通じた公的債務水準の引き下げを約束したのである。だが、こうした巨額支援に加えて、ECB(欧州中央銀行)による国債買い入れという異例の支援を受けたにもかかわらずギリシャは債務削減に失敗し、2015年には3度目の支援が必要になった

支援条件であった歳出削減や国有資産売却などが進捗せず、ギリシャの対応に強い不満を抱く債権国ドイツを中心に「ギリシャ斬り捨て論」が台頭し、市場には「ギリシャのユーロ離脱観測」が高まっていくギリシャ政府が、厳しい緊縮財政を迫るドイツの姿勢に猛反発したことも、ユーロ圏の分裂を予感させることになった

2015年7月、ギリシャのユーロ離脱やむなしとのムードが強まる中で、ギリシャに3度目のチャンスを与える苦渋の最終判断を下したのはドイツのメルケル首相であった同首相は、ドイツ連銀が猛反対したECBによるギリシャ国債買い入れにも理解を示すなど、ユーロ圏の現状維持を最優先させる姿勢を見せたのである

この一件だけでなく、EUおよびユーロ圏の政治経済に関わる重要な岐路において常に力強い指導力を発揮してきたのがメルケル首相である2005年にドイツ史上初の女性首相として二大政党の大連立政権を率い、ドイツだけでなく欧州を代表する顔として世界にその存在感を示してきた

だが、内外で高い支持率や評価を得てきたメルケル首相にも、徐々に秋風が吹き始めているギリシャへの妥協に反発する声や長期政権に対する倦怠の感に加えて、シリアなどの難民問題に対する受け入れ姿勢が、反メルケルのムードを徐々に醸成しているのである。それは、2017年の総選挙に向けて、ドイツ社会や共同体としてのEUやユーロ圏に微妙な変化を生み始める可能性がある

ドイツ国内で過去に例を見ないほどの「メルケル批判」が表面化した原因は2015年9月に亡命規則適用を一時的に停止して全面的な難民受け入れ方針を表明したことにある

この英断は内外で高く評価されたが、国内には当然ながら難民の大量流入を拒絶する声が小さくない地方自治体には住宅問題で財政が圧迫されるとの懸念が強く医療費や教育費の負担など公的支出が急増しかねない、との批判もある

東西ドイツ統一に苦労しながら最終的には経済大国を再建することに成功したドイツには難民への寛容な態度が中長期的にプラス効果を生むという自負や期待感がある。だが、年間100万人に達するほどの難民の流入ペースは短期的には社会不安や財政不安を連想させやすい。首相陣営のCDU(キリスト教民主同盟)内部からも難民政策反対の声が上がり始めており、2017年に行われる総選挙を前に、選挙対策としての「メルケル降ろし」が画策される可能性もないとは言えない。

メルケル首相自身は2005年、2009年、2013年の総選挙に勝利し、2017年には4期目の政権運営を視野に入れていると見られていたが事態は流動的になりつつある仮にメルケル首相が退陣してより保守的な勢力が強まることになれば、フランスやスペイン、ポルトガルなど右傾化が著しい欧州全体のムードがさらに保守化することになるだろう

欧州一強時代を表徴するドイツの求心力が弱体化すると、EUやユーロ圏などの共同体理念も揺らぎかねない英国のEU離脱が現実化すれば、さらに離散傾向は強まることになるだろう第二次世界大戦後、政治的・経済的な結束を求めて形成されてきた欧州の姿は、重大な変曲点を迎えるかもしれない

それはユーロの存続性に対しても、深刻な疑念を抱かせるEU内で軍事的な衝突が起きることは考えられないが、社会的な不満の鬱積が各国間の刺々(とげとげ)しい対立感情を生み始めたり、欧米間の同盟関係の弱体化が進んだりすることも予想される欧州は新たな地政学リスクに直面し始めている

● 5.日本の地政学リスク

これまで見てきたように、世界には至るところに市場経済や金融システムとの関連が深い地政学リスクが散在している。

そして、グローバルな視点で直接投資や資産運用を考える立場からすれば、日本も地政学リスクを抱える要警戒地域である。たとえば、英国で国際分散投資を行うポートフォリオ・マネージャーの目には、日本はどのような投資対象に映っているのだろうか。

GDPや株式市場の時価総額で世界第3位の日本が、重要な市場であることは言うまでもない「有事の円買い」と言われるように、リスク回避の際に選好される通貨を持つ国であり、また対外保有資産では他国を寄せ付けない世界最大の債権国でもある

海外勢が抱く日本経済への懸念材料と言えば、長引くデフレと巨額の財政赤字が双璧であった。それに加えて、頻発する地震などの自然災害リスクが意識されることもあったが、それよりも深刻な地政学的な観点で捉えられたのが原発問題である。2011年3月11日の福島原発事故は、海外勢の日本を見る目に新しい座標軸を与えることになった。

さらに2012年の安倍政権誕生以降、韓国や中国との領土問題が政治的にエスカレートするリスクも加味しなければならなくなった。北朝鮮との対立構造も一向に改善する気配がない。そして2015年の安保法案の成立は、国内だけでなく海外においても「日本の政治的スタンスの大変化」として注目されている

また、IS問題は日本にとっても無縁とは言えなくなってきた。日本政府がISの敵視する米国との同盟を強化していることに関し、ISは「日本も標的になった」として宣言している

日本の地政学リスクといえる「原発、自然災害、そして安全保障」は、財政赤字問題と直接結びついている国内では経済問題としてデフレ脱却にばかり注目が集まって財政問題への意識がやや薄れつつあるが、ひとたび何らかの惨事が起きれば世界で断トツのGDP比250%近くまで拡大している公的債務額の増加ペースは、さらに加速するだろう

先進国の場合、公的債務のGDP比よりも歳出に占める利払い額のシェアのほうが問題である超低金利の日本ではまだ耐久力があるとも言えるが、財政再建への工夫や努力が見られないなかでの債務増加は日本のアキレス腱である。地政学リスクと財政赤字の結節点に関して、われわれ日本人はもっと敏感になる必要があるのではないだろうか。

現在、日本の原子力発電所は北海道の泊発電所から鹿児島の川内発電所まで、合計44基ある稼働中の原発数の国別ランキングでは、米国・フランスに次ぐ世界第3位の「原発大国」である

これまで日本は、原爆投下や福島原発事故に遭い、歴史上稀に見る惨劇を三度も体験しながら、原発に依存し続けることを容認している国なのだ経済発展のために最低限の原発が必要であるとしても、脱原発への長期的なビジョンが描き切れていないのが日本の哀しい姿である

原発所在地の密度から言えば、韓国と日本は世界最大の密集地域である日韓が武力衝突することは想定し難いが、その至近距離には、国際世論を無視して水爆実験を行うなど暴発リスクを抱える北朝鮮がいる

また、陸海への支配域拡大の野望を抱く中国や極東への関心を強めるロシアなど、日本の周辺国との外交的な難題は山積みであるそれと並行して憲法改正による武力展開への道を探ろうとする日本は、地政学リスクの観点からすれば、海外のポートフォリオ・マネージャーにとってとても「リスク・フリー」と言える地域ではない

ジャパン・リスクの顕現化が日本株売りを加速するのは想像に難くないが、為替市場では円売りではなく、逆に3・11の原発事故時と同じような円買いが再発することもあり得るだろう日本国債は日本銀行の買い占めによって超低金利状態が堅持されているが国債先物市場を使った投機筋の売り仕掛けや国内保険会社の現物投げ売りなどによって金利が急上昇するリスクも考えられる

日本人が本当に鈍感なのは国内にみずから抱えている地政学リスクに対してかもしれない

倉都康行

ダイヤモンド・オンライン2016.04.25

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