世田谷一家殺人事件→巨大暗黒組織

「世田谷事件の被害者や遺族の方々に、本当に申し訳ない。15年の歳月を重く受け止めている。1日でも早く犯人を逮捕したい」

警視庁の釣宏志・捜査一課長は力強く、そう誓った。

2015年12月30日、東京・世田谷区の宮澤みきおさん宅前で同庁の中村格・刑事部長ら捜査関係者約30人が、宮澤さん一家4人が一緒に写った写真を前に、泰子さんが好きだったカサブランカの花束などを手向けて合掌し、全員で黙祷を捧げていた。

世田谷一家殺人事件は2000年12月30日午後11時半頃、この家の中で宮澤みきおさんと妻泰子さん、長女で小学2年のにいなちゃん、長男で保育園児の礼君の4人が惨殺されたものだ

この事件の特捜本部が置かれた成城署で、2006年に宮澤さんの父良行さんが「4人はウチの宝だった。犯人を逮捕し罰して下さい」と声を振り絞って訴えた姿を、捜査員たちは決して忘れていない。その父親も2012年9月、犯人逮捕の報を聞き届けないまま84歳で亡くなり、4人の位牌を胸に抱いて黄泉の国に旅立った。

それを知った捜査員は「遺族の思いに応えなければ、刑事じゃない」と、今も連日、40人態勢で聞き込み捜査に走り回っている

ただ、一家の月命日ごとに情報提供を呼びかけるビラを配る地元住民や被害者遺族で作る「宙の会」のメンバーの中には、こうした献花式や捜査一課長自らが行うビラ配付を「年末のセレモニーに過ぎない」と懐疑的に見る向きが出ていることも事実である

「時効が撤廃され捜査が継続されるのは朗報だが、『15年前に不審者を目撃していないか』と聞き回る捜査員の姿を見ると、果たして事件は解決するのか首を傾げてしまう」(地元住民)のだ。

質より量を重んじた捜査に問題あり

現場に指紋や血痕など大量の物証を残した世田谷事件は、早期解決を期待させる一方で、捜査の幅や奥行きを失わせた

この事件が未解決となった理由を、私は前々回、《初動捜査の失敗》と指摘した(→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47081)。捜査員も「犯人の指紋が採取できたため前歴者や他事件の遺留指紋との照合、被害者の関係者の指紋採取に追われ、現場付近の聞き込み(地取り)や被害者周辺の関係者(鑑取り)の捜査が疎かになってしまった」と悔やんでおり、間違いあるまい

これまで延べ約25万人の捜査員を投入したという警視庁幹部は「1万人以上から事情聴取を行い、積み重ねた捜査報告書は厚さ10センチのファイルで1000冊を優に超える」と力説する

が、書類の厚みは増しても、一つの端緒から捜査が次々と広がっていくような中身の厚みが見られない。

つまり、不十分な鑑取り・地取り捜査とは、数量の問題だけではなく、やり方=質の問題なのだ。

もともと聞き込み捜査は難しく、熟練の刑事でも常に情報収集のアンテナを張り巡らせ、勘を鋭く働かせていないと、重要な情報を見落とすことになる。証言者が何気なく語る話題の中に真相解明のヒントが隠れていることが少なくないからだ

通り一遍の「不審者を目撃していないか」という曖昧な問い掛けでは、決して“いい情報”などは得られやしない。

さらに犯人の遺留指紋と右手のケガにこだわり、指紋採取と医療機関からの情報の裏付け捜査に翻弄されたうえ、仮に不審人物が浮上しても、指紋が一致しなかったり右手を負傷した人物がいない場合、ろくに周辺捜査をせずにシロと見なしてきたことが、聞き込み捜査の質の問題であり、捜査の幅や奥行きを失わせたことになるのだ

1984、85年のグリコ・森永事件でも、容疑者グループが浮上しても、その中に捜査員が事件現場付近で目撃した「キツネ目の男」の存在が確認されない限り捜査が打ち切りとなり、それが後に未解決事件に終わった原因の一つと指摘された。

1968年に3億円強奪事件を起こした偽白バイ警官のモンタージュ写真もその一つだ。被害者の曖昧な証言を元に作られた確度の低い代物だったが、捜査を後々まで迷走させた一因となった。拙著『三億円事件』(新潮文庫)に、このモンタージュ写真は警察当局が別の容疑者の顔を模して偽造したと書いた。関心のある方は是非、お読み頂きたい。

世田谷事件では、そんな悪影響が端的に現れた事例もある。

2006年5月、事件翌年の01年から04年まで周辺住民43人から聞き込み捜査したように偽造した捜査報告書35通を作成、自分や妻の指紋を捺印し添付したとして、成城署の元警部補が書類送検されたのだ

元警部補は「思うように住民に会えなかったし、指紋集めばかりさせられ嫌気が差した」と供述したが、警察の発表では後段の「嫌気が差した」部分は削られ、よりにもよって「住民の協力が得られなかった」という理由にすげ替えられていた

こうして表面をなぞる捜査に終始したため、犯人像や動機が詰め切れておらず、未だに犯人の侵入口が玄関か浴室の小窓か断定できていないのが実情だ。犯行状況でさえ推論に基づく部分が多く、各捜査員が異なる犯人像を抱いているのが何よりの証拠だろう

結局、世田谷事件については何も分かっていないのである。

《ブツからつかまらへん》

事件関係者らが「年末のセレモニー」と語った捜査状況への感想は、一概に否定できるものではない。もちろん、何も捜査していないなどと言うつもりはないが、犯人逮捕に繋がるような新たな情報はなく、特捜本部に緊迫した雰囲気が感じられないのも事実だ

成城署の世田谷事件専用資料室にここ数年、新しい証拠品や捜査資料が運び込まれたことはない。特捜本部は、犯人しか知り得ない“秘密の暴露”温存に配慮する余り、当初から外部への情報公開に消極的だった(途中からはなりふり構わぬようになったが……)

「事件発生から○年」といった節目ごとに、「新たに分かった」と称しマスコミを通じて、遺留品などの情報を小出しに発表してきたが、そうしたネタももはや尽きたと言えよう。

2014年12月には犯人の身長と逃走時刻の修正による新たな目撃情報の収集を 、2015年末に至っては犯人着用のトレーナーなど遺留品(ブツ)捜査の現状しか公表することがなく、事件から15年後に情報提供を呼びかけても効果が期待できないものばかりだ。

特に特捜本部が注目しているというのが、犯人が現場に脱ぎ捨てたトレーナーだ胴体部分が灰色、腕と首回りが紫色で、中国製のLサイズ人気タレントの木村拓哉がドラマの中で着た「ラグランシャツ」と同タイプのもの

2000年8月から12月までに東京都や静岡県など14都道府県の41店舗で130着販売され、特捜本部はこれまで発売元の売上伝票を分析したり、似たトレーナーを着た人物の目撃情報を元に各地に捜査員を派遣し、購入者一人一人を追跡した。そして、12着分の購入者を特定したものの、誰も不審な点は見当たらなかったという

残り118着の所在を丹念に潰して行けば、必ず犯人に結びつくはず」と捜査幹部は力説するが、15年で12着のペースを考えると、すべて確認できるまであと何年かかるのか分からない

警視庁は2015年9月、41店名を同庁のホームページで公開、英語や韓国語、中国語でも読めるようにして広く情報を求めたが、いささか遅きに失した感は否めないだろう。

現場ではほかに、韓国で製造・販売され日本で1995年9月~99年1月に首都圏のディスカウント店などで販売されたヒップバッグや、2000年10月から販売されたLサイズの黒いユニクロ製ジャンパーなど多数の遺留品があったが、有力情報には繋がっていない。

事件現場に残された物的証拠は大量に生産、販売された製品が多く、こうしたブツ捜査ではまず、犯人に辿りつくことはできない。

そのことは30年以上前に起きたグリコ・森永事件の捜査で学んできたはずだし、世田谷事件の特捜本部がその教訓を生かせず、未だにブツ捜査にこだわる愚を犯している。と言うより、ほかにやるべき捜査が見当たらないと言った方がいいのかも知れない

グリコ・森永事件の捜査員たちは、犯人の「かい人21面相」が各現場で残したさまざまな遺留品を徹底的に調べ、その大半の製造元や販売経路、そして犯人が購入した先まで割り出した。だが、それでも犯人逮捕はおろか肉薄するところまで至っていないのだ。

一例を挙げれば、江崎勝久・江崎グリコ社長が監禁先の水防倉庫で着せられていたズボンは、広島県府中市の衣料品会社「クロダルマ」が1980年から月300~400本を製造、全品をスーパー「イズミヤ」で販売していた。また、着用させられたトレーナーは、東京のメーカー「小杉産業」が83年春物商品として全国のデパート31店に卸した後、「イズミヤ」などのスーパーに流れていた。

そこで捜査員が「イズミヤ」各店のレシート控えを一枚ずつ調べた結果、このズボンとトレーナーが水防倉庫近くの「イズミヤ楠葉店」一階の四番レジで、84年3月20日の午後1時から3時の間に一緒に売られたことを突き止めた。また、江崎社長が同じ水防倉庫で着せられた半袖シャツや下着類も、同日午後零時半から1時の間に、同店二階のレジで売られていたことが分かったのだ。

犯人は江崎社長を誘拐した2日後の昼の1時間前後にわたり同店で買い揃えていたことになり、捜査員を投入して店内外で聞き込み捜査を行ったが、従業員は購入客を全く覚えていなかった

一方、犯人が脅迫状を打ったタイプライターは、約1万5000台中2000台まで絞り込んだが、それ以上は進展しなかった。

これに対し文字盤に使われた活字が、試し刷りされた茨城県の工場で保管されていることが判明。文字盤の種類を割り出し、売上伝票などを捜査した結果、東京・神田の事務機器販売会社で83年1月、「山下」と名乗る男が購入したことを突き止めたのだ。

が、その販売員は捜査員が訪れる半年前に、「山下」の連絡先を書いたメモを捨ててしまっており、「30代の男」としか覚えていなかった。

これは、遺留品の流通ルートを解明し、最後の一つを割り出したとしても、犯人に辿り着けるとは限らないことを示している。

《わしら ブツから アシつく よおな じゅんび せえへん》

「かい人21面相」は兵庫県警への挑戦状の中で、こう嘲笑したが、ブツ捜査に限界があるとの教訓は全く生かされていなかった。

アクシデントな事実を追え!

同じ遺留品でも犯人が予め用意していたモノではなく、予期せぬ状態で現場に残してしまったモノや、気づかぬうちに付着していたモノなどは信憑性が高く、犯人に辿り着ける可能性が出てくる。

前出のグリコ・森永事件でも、パトカーに追われ逃げ回った犯人が滋賀県草津市内に乗り捨てた盗難車の中は、改造無線機やカジュアルバッグ、サファリハットなど14種25点の遺留品があり、“物証の宝庫”とされた。

中でもEL(エレクトロ・ルミネッセンス)と呼ばれる1ミリにも満たない電子部品の削りカスが、大津市の大手電子部品メーカーの工場でしか付着しない微物と分かり、捜査は急展開を迎えた。そこから産業廃棄物処理・回収業者の存在が浮上し、後に有力容疑者グループに結びついたのである。

世田谷事件でも犯人が着てきたジャンパーのポケットに付着した土砂粒が韓国京畿道水原市付近のものと判明私が実行犯として追及してきた元韓国軍人の李仁恩が水原市出身で、ヒップバッグから検出した特殊なガラスビーズを使っている印刷会社に出入りしていたことがあるなど、現場で採取された微物と共通点があることが決め手の一つになっている

何も、現場の足跡から判明した韓国限定販売品のテニスシューズと同じ靴を李が履いていたなど“目に見える合致点”だけで真犯人だと断じているわけではないのである。

特捜本部が2014年末、パソコンの誤作動を理由に犯人の逃走時刻を12月31日未明に修正したことは前々回に述べたが、実は、警察が公表していない“もう一つの修正理由”がある。

「31日午前3時半頃に宮澤さん宅の電気が消えていて、真っ暗だった」という目撃証言を得ていたのだ。

犯行時刻が30日午後11時半頃で、31日午前1時18分に犯人がパソコンを操作した形跡が残っており、前述した目撃証言を信じれば犯人は1時半から3時半までの間に逃走したことになる。

これは31日午前2時頃に手にけがをした男が宮澤さん宅付近で走り去るのを目撃したという証言をはじめ、同日午前2時過ぎ、宮澤さん宅から南に約400メートル離れた橋の近くで横転したバイクの横に不審な男が立っていたとか、午前3時頃、同じ橋の上から川に何かを投げ込む不審な男を見たといった情報に結びつき、犯人と見て調べを進める結果を生み出すことになる。

ただ、犯人は家の電気をつけずに一家を襲撃したという非公表の目撃情報もあり、それを重視した警視庁が同時刻に再現実験を行ったところ、近くの街灯が宮澤さん宅に差し込み、暗闇でも室内を見回すことができたことが分かったのだ。そうなると、逃走時刻の根拠の一つがなくなり、捜査を根底から見直さなければならない。

暗闇で自由に行動できるうえ、音を立てないように階段などを横歩きしたことなどを考え合わせると、軍隊経験者の可能性も高くなり、元軍人の李との共通点がまた一つ増えたことになる

目撃情報にしても犯行前後だけでなく、1週間前から調べて見ると、宮澤家を見張る動きなどが見えてくる。私は宮澤家の移転に伴う土地売買をめぐるトラブルを犯行動機に挙げているが、そうした広い視野で事件を眺めると、いろいろと面白い事実が浮上する

その辺りの事実はこのほど上梓した拙著『世田谷一家殺人事件 15年目の新事実』(角川書店)をお読み頂きたいが、事件の全く違った姿が浮き彫りになってくることが必定である。

特捜本部も遅まきながら、宮澤さん一家と接点があった人物の捜査に力を入れ始め、範囲を事件から10年前、宮澤さん夫妻が現場に居を構えた1990年にまで遡って本格的に調べ始めたという。

洗脳して暗殺者を養成する宗教団体の正体

ところで、ここで気になる情報を一つお伝えしたい。

世田谷事件後、李が韓国や米国、フィリピンなどを転々とし、やっかい者扱いされ、腐りそうになりながらも、主犯の金田秀道や黒幕のX氏への復讐に燃え、やがてプロの暗殺者に転落していく様子を前回紹介した(→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47082)。

今はカンボジアなどを拠点とし、山口組の大物組長だった後藤忠政・元組長の支援を受けている可能性を指摘し、山口組分裂絡みの暗殺依頼を受けていることも示唆した

ところが、李の現況を取材していくうちに、日本の宗教団体が世代交代の機に乗じて、宗教法人の巨大な資産を巧みに海外に持ち出して隠匿したり、マネーロンダリングしたうえで個人資産に切り替えている実態に気がついた

しかも、日本国内では暴力団対策法などでシノギを奪われている暴力団関係者が海外に拠点を移し、そうした裏工作を務めていることが判明そうした拠点として、韓国・ソウルや中国・上海などと並びカンボジアやタイといった東南アジアが急速に力を得ていることが分かった

そうした国際的なビジネスの一貫として暗殺請負組織が誕生しつつあり、チャイニーズマフィアのメンバーや韓国元軍人らの殺し屋を日本や米国などに送り込むシステムが出来上がりつつある

その一方で、日本人の武闘派組員や日系人、外国人留学生・就労者らを提携する韓国などの宗教団体に送り込み、格闘技専門学校に2年間留学させたり、日韓両国の極右勢力が経営に参加している警護専門学校に通わせ、優秀な人材から次々と洗脳して、プロの一級品の殺し屋として鍛え上げ、送り出す計画が進んでいるという

世田谷事件を機に自らの人生を大きく変えてしまった李仁恩と、彼を取り巻く巨大暗黒組織からますます目が離せなくなってきた

現代ビジネス 2016.02.14

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