アラサーを悩ませる→自由の刑

人間は自由の刑に処されている ‐ジャン=ポール・サルトル‐」

今回より「アラサー女子の哲学入門」を書かせていただきます、みなさんどうぞよろしくお願いいたします。私はしがないアラサーです。元々レースクイーンや、風男塾という男装アイドルユニットで活動していたのですが、アラサーに差し掛かり紆余曲折があり、芸能活動を辞め、現在に至ります。現在は、哲学や、マンガ書評のコラムを専門としながら、人材育成の講師などを務める日々です。

原田まりる

 さてアラサーの方にとってはあるあるかもしれませんが、20代前半の頃に見ていた世界と、アラサーになって見る世界ではコントラストが大きく違ってきます。これは20代前半は最高☆で、30歳に近づくとアラサー・イン・ザ・ダーク……というネガティブなことではなく、20代前半の頃に「あたりまえ」であったことが一気に当たり前でなくなってしまうんですね。それを痛感します

例えば、20代前半の頃はイケメンが好きだったのが、アラサーになると家庭的な男に惹かれるようになったり、仕事に対してバリバリ野心的で無双モードだったはずが、おだやかになってきて、食の趣味も変わりランチに焼き魚を選ぶようになったり……「あれ!? 今までの自分はどこにいった!?」と自分でもわからなくなるほど自分の中の「あたりまえ」が一変し出すのです

もちろん日焼けが治りにくいとか、痩せにくくなるとか老けを感じるネガティブなこともありますが、そこに関しては、はっきり“老い”が原因だとわかっているからいいんです。しかし、そうではない原因がわからない変化が自分の中で起こっていて、自分でも何が起こっているかわからない! むしろ自分が何なのかがわからなくなってしまう時がありませんか? 例えば、次々と結婚していく友達を見ていくなかで「自分にとっての幸せは一体なにか」がわからなくなってしまったり……。facebookで、子供の写真をアップしている友達が羨ましいような、羨ましくないような微妙な気持ちです。これは「まだ結婚していないことに負い目を感じているけれど、結婚したいか?」と聞かれると「ぶっちゃけわからない」という率直な本音であり、自分自身にとってのリアルです

いままで思い描いてきた幸せが、自分にとって本当に幸せかどうかがわからなくなっている状態です「結婚は幸せだと思ってきた」自分と「結婚しても別に幸せじゃないんじゃないかなー?」と疑う自分がいるはずなのですこれは仕事に対しても一緒で、「仕事をバリバリ続けることが幸せだと思ってきた」自分と、「いやー、それだけが幸せじゃないんじゃないかなー?」と疑っている自分がいる

つまりアラサーにもなると、20代のうちに積んできた経験によって従来もっていた価値観やあたりまえとされてきた価値観に対して、疑いの目を持ってしまうものですそしてそれは、恥ずべき行為でも、劣等感を持つ行為でもなく、リアルに自分の人生においての「幸せとはなにか?」を考え出した結果ではないでしょうか従来の価値観、いままでごくあたりまえとされてきたことに疑いを持ち、自分にとっての幸せを考えるということは、哲学するということです

峰なゆかさんの『アラサーちゃん』や、東村アキコさんの『東京タラレバ娘』などアラサー女子のリアルな悩みを描いたマンガ作品が人気を博す昨今。アラサー女子の切羽詰まった日常を描いたストーリーにひとしきり笑ったあとに、どうしてかお酒に溺れたくなる……などハードボイルドな気持ちが湧いてくるのは読者あるあるでしょう

この二作品、ストーリーの主軸として描かれているのは、20代前半には無かった、もしくは他人事であったアラサーならではの葛藤です

20代前半の頃は、嫌なことがあったときに「ねえ聞いてー!」と傍若無人に、愚痴を吐き出しまくっても、誰かがそばで「うん、うん。そうだね。大変だったよね」と頷いてくれていたものです

しかし、アラサーに差し掛かると、暗い発言をすると「周囲に見放されてしまうのではないか?」と疑心暗鬼モードが覚醒し、嫌なことがあっても愚痴などこぼさず、微笑みながら逆にムードメーカーに徹し、周囲を盛り上げ、見捨てられないようにピエロぶることが多くなってきました。自分が変わったということは自分が一番感じているのです。

体が縮まないようビクついているマリオ

20代前半の頃は、スーパーマリオでいうところの“スター状態”のようなもので、無敵で光り輝いていました。しかし、アラサーに差し掛かるとはスター状態が終わり、体が縮まないようにビクついてるマリオ状態に突入してしまうのです

 それこそ20代前半は、「理想的な彼にいつか出会える」「そのうち仕事が上手くいくだろう」といった可能性に囲まれていて、何かを選択する際にもプレッシャーは少ないもの失敗してもまた次にいけばいいし、時間が無限にあるような気持ちでいっぱいだったのです

ところが、アラサーに突入して、同級生がfacebookなどで華々しい生活をアップしていると「ああ、あの時結婚していれば……」と過去の“たられば”に逃げ込むことで自分を慰める癖がついてしまいます未来の可能性に逃げるのではなく、過去の“たられば”に逃げてしまう……「なんて非生産的な行為なんだろう!」とわかっていても繰り返してしまいますポジティブな希望的観測を持つことが急に怖くなってくるのです

哲学入門「ポジティブな希望的観測を持つことは、現実逃避にすぎないんじゃないかな?」という疑いが頭の中を駆けめぐっていくうちに「人生とは、現実とは、男女とは、私とは……一体何!?」と、抽象的な悩みが増えてくるのがアラサーです

自由は楽しいだけのものではない

このアラサーになっていきなり発動する心の闇は、フランスの哲学者サルトルのいう「自由の刑」と似ているのではないかと思います。サルトルは事実上の妻を持ち共に社会運動に励みながらも、事実上の妻の了解を得て、さまざまな女性と関係をもった、自由な性格の持ち主。……どれほど寂しくても彼氏にしたくないタイプの典型ですね。

そんなサルトルが唱えた「自由の刑」というのは「人間は、自由に選択できる、その分、自由には責任や不安が伴うので、自由は楽しいだけのものではない」ということです。

「自由」という言葉はポジティブな印象を受けるますが、良いことばかりではありません。自由だからこそ、先行きが不安であったり、責任を自分でとらなければならないという苦痛が発生する!という意味にもなります。自由だけど、不安定な生活を余儀なくされるフリーランスみたいなものですかね

アラサーに差し掛かってからの苦しさはこの「自由の刑」が大きく関係しているのでしょう20代前半の時は「自由の刑」の「自由」にしか目がいっていなかったはず。しかしアラサーになると「刑」の部分に意識が行くようになってしまう。つまり責任感を持つ大人へと成長した結果ではないかな、と思います

そして将来への不安や苦しさは自由である証とも取れると思います自由でいるということは、時に苦痛を伴うもの。しかし、自由だからこそ、どんな風にも生きられるし、チャンスが枯渇することもありませんアラサー女子は、「刑」に囚われすぎず「自由」に目をやり、フル活用してもいいんだ、と自分に言い聞かせることで、この先開けていく可能性もあるのではないでしょうか

参考 女子SPA! 2015.06.17

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