アップル→再び革命をもたらす?

WWDC 2015で発表されたMac用次期OS、OS X「El Capitan」。実はこのOSには、日本のMacユーザーに対してだけの「One more thing」(もう1つの重大な発表)が隠されていた。それは日本語関連の機能の大幅な進化だ

El Capitanの概要については、WWDC 2015の現地リポートで簡単に触れた。肝はMacの「パフォーマンス」と「体験」の向上だ。アプリの起動や切り替えから始まり、画面表示全般、PDFの表示などすべてが現行のOS X「Yosemite」よりもキビキビしている

それに加え、分割ビュー(スプリットビュー)という機能も加わったOS Xには、1つの作業に集中できるようにアプリケーションのウィンドウを画面いっぱいに広げる全画面表示モードという機能がある分割ビューは同時に2つのアプリだけを表示しておくという機能で、例えば、画面をメールとカレンダーで分割表示して最近のメールに書かれていた予定がカレンダーに登録されているか確認する、といった使い方にも便利だ

「メモ」アプリも、どんな情報でも貯め込められるように大幅な進化を遂げた。総じて派手な機能は少ないが、日々の生活や仕事の中で大きな恩恵を受けそうな地味な改良が多数施されている

アップルは、何か大きな跳躍をしようとする前によくこういった地味なメジャーアップデートを行う。筆者は勝手にこうしたアップデートを「洗練版リリース」と呼んでいる。

ケーキ作りに例えれば、派手にトッピングのフルーツやデコレーションを考えるのではなく、小麦粉であったり、水や牛乳の選び方であったり、混ぜ方だったりを見直すOSであり、じっくり噛みしめた時に感じる本質の味を左右するOS。次の大きな跳躍をする前に、足下の地盤をしっかり整えておくリリースであり、それだけにこれからの新しい方向性の起点になるOSだとも言える

こういうOSのよさは実感するのが難しい。使い始めてしばらくの間は、「マシンの動作が軽快になった」であるとか、「これは快適」と感動している機能も数日経てば使い慣れてしまう

こうした「洗練リリース」のOSのよさが本当に分かるのは、しばらく経った後(1週間でも十分だ)あえてほかのMacなどで古いOSを触ってみることだ。すると「あれ? こんなに遅かったんだっけ? こんなに表示が違ったんだっけ? この機能はないんだっけ?」と驚かされる。

知らない間に新しい使い心地に慣らされ、それなしではいられないくらいに自然とそれを活用してしまっている。そういう意味では、このOSに触れたことでYosemiteは筆者にとって徐々に居心地の悪いOSに変わりつつある。

そして我々、日本のMacユーザーにとって「すごくて最初は感動するものの、すぐに慣れて当たり前になり、それでいて昔に戻れなくなる改善」の筆頭とも言えるのが、El Capitanの隠し玉、日本語の扱いの改善だろうOS X El Capitanは、日本語の入力面と表現の面で大きな進化を遂げたOSだ

●考え抜いたうえで厳選した10種類の美しい標準フォント

アップルというと「米国の企業」ということで、日本語関連の機能が弱いと勘違いをしている人をたまに見かける。実際はその逆どころかデジタル時代の日本語文化を常にけん引してきた存在と言ってもいい

つい最近の功績で言えば、今日、多くの人が最も効率的な日本語入力手段として愛用しているスマートフォンのフリック入力を発明したのもアップルだし、日本人が意地の張り合いで標準化できずにいた「絵文字」を国際標準にして世界に広めたのもアップル(とグーグル)だ

これは氷山の一角で、日本語DTPから文字のスタンダードまで、コンピューター上での日本語の扱いが大きく変わりそうなとき、常にその中心にいたのがアップルだ

アップルはテクノロジー業界において、唯一、新しい文化を生み出し続ける稀有(けう)な会社だテクノロジー関係のイベントにはあまり顔を出さないが、このような人類の文化を左右する分岐点には深い関わりを持っていることが多い。ただし、この辺りの話を細くすると本題からそれるので、その話は末尾にてコラムとしてまとめた。

日本語のデジタル化で常に最前線を走ってきたアップルがEl Capitanで行ったことは2つ。まず、文字の入力では「ライブ変換」という新しい日本語入力方式が採用された。一方、文字の表現においては新日本語フォント4種類が加わり使用できる日本語フォントが合計10種類にまで増えた

言葉にしてしまうとたった2つだが、これら2つが日々、Macを使って行う作業に与える影響の大きさの蓄積は計り知れない。

人によって仕事も異なれば、パソコンの使い方も異なるので、あまりその部分に感じない人もいるかもしれないが、フォントは非常に重要だ。筆者の個人的な経験で語らせてもらうと、2007年にiPhoneショックという本を書いていたとき、一度、途中で筆が止まってしまって書き進めなくなってしまったが、画面表示に使っていたフォントを切り替えただけで急に気分が変わり、再び筆が進むようになった。

人間というのはメンタルな生き物だ何かの作業をする際、機能以上に使う側の気分がものをいうことがある。そしてポプリの香りを嗅いだりとか、フォントを変更するだけで気持ちが切り替わり、書く内容まで大きく変わることもしばしばある。

ちなみに本稿はアプリにはPagesを使い、フォントにはEl Capitanに付属の「クレー」フォントを使っている。ミディアムでもかなり細身に見える明朝体で、モダンさを感じさせながらも、どこかに伝統の折り目正しさを感じさせる気品にあふれたフォントだと筆者は感じた。

EL Capitanには、これ以外にこれまではiBookに付属する形で使われていた游明朝、游ゴシック系のフォントとA、B、2種類の筑紫丸ゴシックフォントが用意されている

さらに「ヒラギノ角ゴシック」フォントに関しては従来3種類だけあったウェイト(太さ)がなんとW0からW9までの10段階に増えた。

もはや欧文フォントにおけるHelveticaフォント的な立ち位置を獲得した十分な美しさを備えつつ、守備範囲が広いヒラギノフォントから、書籍など長文を読ませるのに適した游明朝、游ゴシック、目を引くポップさエレガントさを備えた筑紫丸ゴシックとクレーこれだけの多彩なフォントが標準搭載となったことで、El Capitanは素のままでも、かなり多彩な日本語表現ができるOSに進化した

ただフォントが美しいだけではない。せっかく美しいフォントを搭載したからには、そのフォントが最も美しく表示、印刷されるようにハードウェアレベル(Retina display)でも、ソフトウェア的な描画エンジンのでも最善を尽くす。この姿勢がアップルの日本語表現を他者とは一線を画したものにしている

●日本語入力方法におけるコロンブスの卵:ライブ変換

それでは文字の入力についてはどうだろう。人それぞれの入力スタイルにもよるが、多くの人は文字入力中に、かな文字を漢字に変換するために頻繁にスペースキーを押しているはずだ

OS X El Capitanでは、これが激減するこのOSの日本語入力には新たに「ライブ変換」という文字入力モードが加わっている

これまでの日本語入力では、ローマ字文字入力をすると文字はまず画面上にひらがなで表示され、その後、スペースキーを押すと、そこで漢字の候補が表示された(この方法は1983年に浮川和宣氏らによって発明された)

ところが、El Capitanの「ライブ変換」機能をオンにしてローマ字入力で書き進めていくと、入力した先からどんどん漢字に変換されていく最初のうちは全然見当はずれな漢字も多いが、気にせず書き進めていくと、前後の文脈から漢字がどんどん正しいものに置き換わっていく

かなり前から日本語入力プログラムはアップルの旧ことえりはもとより他社の製品も、スペースキーを押す前に打ち込んでいる文章が長くなればなるほど、どの漢字が正しい漢字かを判断する材料が増え誤変換がなくなる状態にはなっていた

しかし、スペースキーをどのタイミングで押して変換するかという部分に規則がなく、みんな自分の息継ぎのタイミングにあった好きなタイミングでスペースキーを押していた。つまり、これまでの日本語入力プログラムは、もっと正しい文字に変換するためのヒントが欲しいにも関わらず、それを得られないままユーザーに強制的に変換をさせられていたことが多かった

これに対してアップルは、有無を言わさず自動的に漢字に変換するライブ変換によって、漢字の変換候補は常に目まぐるしく変化するといううことを可視化することで、ユーザーにスペースキーを押させないようにした

ある意味、とってもアップルらしい「デザイン」的アプローチで、ユーザーの日本語入力中の振る舞いに変化をもたらしたこの考え抜かれたアプローチのデザインには脱帽せざるをえない。(技術がある程度分かっている人が)出されてみて初めて「なるほど、それはこういうやり方が正しいよな」と納得させられる考え抜かれた方法でありながら、それがこれまでの文字入力の方法と完全互換というのも素晴らしい

つまり、例えば文節単位で漢字変換をするクセが付いている人は、これまでの流儀を一切変えることなく、これまでのOS X日本語入力とキーを打つスピードも順番もまったく変えることなく「わたしはいま」まで打ち込んでスペースを押すことで「私は今」という同じ変換結果を得ることができる

異なるのは、この後の文章「私は今、新しい基本ソフトのレビューを書いています」まで入力して初めてスペースキーを押す人と比べると、スペースキーを打つ回数がはるかに少なく、しかも、誤変換が少ないので、その後のカーソルキーやスペースキーを押す回数も大幅に削減できる

まだまだこの新しい入力方式は完璧ではなく、例えば、完璧に入力した文章の変換精度が高い代わりに、単語の後半を間違って削除してしまった後、消してしまった部分をローマ字入力で補おうとすると途中から始まっている単語を無理矢理漢字に直そうとしてしまうために、通常の日本語入力プログラムよりもかえって変換精度が低くなってしまう点はある

とはいえ、El Capitanが採用した日本語入力のデザインは、今後、同様に日本語入力プログラムを作る多くの企業に、大きな影響を与えることになるだろう。もしかしたら、iPhoneで誕生したフリック入力と同様に、今後の日本語入力を大きく変化させる布石となるかもしれない

新フォントと新しい日本語入力プログラム、これらはそもそもアップル米国本社ホームページでは触れられてもいない瑣末(さまつ)な機能でありながら、それだけでもこれほどまでによくデザインされ、確実に我々の心の奥底に変化をもたらしてくれる

現行の開発途上版は、まだWWDC 2015で紹介されたすべての機能が実装されているわけではなく、例えばスポットライトに「先週作ったプレゼンの資料」と平易な言葉で打ち込んでもうまく検索ができない状態だ。

そもそもアップルとしても全国にいるMacのユーザーが、どんな言葉で検索をするかをまだ十分に調査できていない現段階では、こうした機能を開発しても中途半半端になってしまうだろう

そこでアップルは7月からEl Capitanの公開β版をリリースして意見を募り、その後、秋頃に最終版をリリース予定だこのOSがパソコン上での日本語入力の取り扱いにどれだけ大きな波紋と影響を与えるのかを考えると今から楽しみでならない

●コラム:アップルと日本語のデジタル化

アップルというと「米国の企業」ということで、日本語関連の機能が弱いと勘違いをしている人をたまに見かける。実際は逆どころか、デジタル時代の日本語文化に与えてきた功績は多々ある

出版のプロフェッショナルに聞けば分かることだが、1989年に世界初の日本語Postscriptレーザープリンタ「LaserWriter NTX-J」を発売し、MacのOSにもプリンタ搭載の日本語フォントを標準で組み込み、日本にDTPという今日の紙の出版物のほとんどの制作に使われている技術を広めたのはアップルだった

出版という日本語表現の1丁目1番地に常に深く関わってきたこともあり、UNICODEと呼ばれるパソコン上での文字表現の国際標準にどの漢字を入れるかの議論でも、9000種類ほどしか表現できなかった漢字表現をアドビらとともに数万文字まで拡張していく過程でもアップルは常に中心的役割を果たしてきた

だから、Macはいまだに出版業界では標準のパソコンであり、みなさんが日々目にする紙の出版物のほとんどはMacで作られている

2001年に登場したMac OS Xの最初のバージョンからは、表現のバリエーションが広く、文字の美しさも際立つ6種類のヒラギノフォントが標準搭載されることを故スティーブ・ジョブズ氏が自ら発表した

OS Xと、ヒラギノフォントの登場、さらにその後、 超高解像度のRetina Displayを搭載したMacが登場したことで、パソコン画面上の日本語文字表示の美しさは格段の進歩を遂げて、紙の印刷物に並ぶレベルまで進化した

実際、「画面上のちょっとした日本語の単語の表示まで美しい」という点は、Windowsが追いつけていない部分であり、WindowsからMacに乗り換えた人々が「もうWindowsには戻れない」と挙げる理由の1つでもある(Windows 10では、この部分の進化を期待したい)

では、日本語の入力に関してはどうだろう。キーボードからローマ字で入力すると「ひらがな」で表示され、適当なところでスペースキーを押すと、それが漢字に変換される、という文字入力方法はジャストシステムズの創業者、浮川和宣氏らによって1983年に生み出され世に広まった特別な「変換」キーを搭載していない英文用のキーボードでも日本語を入力可能にする画期的な発案であり、発明から32年経った今日でも変わることのないスタンダードだった

しかし、今日ではこれに負けないくらい大勢の人がスマートフォンで3×4の文字盤を連打してかなを入力する携帯文字入力方式か、同じ文字盤に指を置いた後、それを上下左右にスライドさせることで1度の動作で目的のひらがなを入力する「フリック入力」を行っている

後者はアップルのiPhoneで誕生したことはまだ人々も忘れていないはずだ。さらに最近では仲の悪い日本の電話会社たちが各社各様で勝手に作っていた絵文字をグーグルとともに国際標準として定めている。アップルの日本語デジタル入力、その表現に関する貢献度はかなり高いのだ

参考ITmedia USER 2015.06.16

 

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