この国に未来がない→庶民の暮らし

これまで、朝日新聞・東亜日報共同調査でインタビューした脱北者の証言を1人ずつ掲載してきました。今回は、中国特派員として脱北者に接することが多かった前瀋陽支局長の石田耕一郎記者が、最近の事情に絞った現場報告をします。

核兵器長距離弾道ミサイルの開発を続け、高官を相次いで粛清するなど、軍優先の独裁色を強める金正体制のもとで、市井の人たちはどんな暮らしを送っているのだろうか。今年6月までの3年余り、北朝鮮と国境を接する中国東北部に駐在し、金正恩(キム・ジョンウン)氏が第1書記に就任した2012年4月から、脱北した人たちを取材した。脱北してわずか1週間という人もおり、外からは見えにくい北朝鮮の国内事情を語ってくれた。威勢のよい政府の宣伝とは異なる庶民の声を紹介したい。

北朝鮮は中国東北部と1300キロメートルを超える長さの国境で接している国境のほとんどは、北朝鮮北西部を流れる鴨緑江と北東部の豆満江(中国名・図們江)という2本の国際河川に重なる。いずれも、場所によって水深が非常に浅く、冬季には凍結する。中朝ともに国境沿いに警備兵を配置しているが、中国側には朝鮮語を操り、脱北者に同情的な中国朝鮮族が多く暮らしていることもあり、主要な越境場所になってきた。北朝鮮が深刻な食糧難に陥った1990年代の「苦難の行軍」の時期には、1万人単位の人々が、川を渡って中国へ逃れたとみられている

◇正恩体制下の脱北理由は

正恩氏の父・金正日(キム・ジョンイル)総書記が死去したのは、11年12月。複数の脱北者や脱北ブローカーの話では、正恩氏が第1書記に就任して1年を迎える頃から、徐々に脱北してくる人が目立ち始めたという

地方都市の工場技術者だった男性(40)は13年10月、男女7人で脱北を計画した。国境警備兵への賄賂として、計8千元(約16万円)を準備し、妻と娘(10)には「出稼ぎに行く。3年で戻らなければ死んだと思って欲しい」と伝えて家を出た。国境までの検問は賄賂を使って突破したが、鴨緑江のそばまで来た時に警備兵に見つかった。当時は二手に分かれて行動しており、女性2人がいた別のグループは捕まったものの、男性ら4人は兵士を殴り倒して川を渡った。

男性が脱北を決めたのは、正恩体制になって工場の給与が止まったうえ、労働者に対する監視が強化されたことに絶望したためだった当時、工場の食料配給がすでに途絶えていたため、労働者たちは工場以外で小売業を営むなどして生活費を稼いでいた。しかし、正恩体制では、こうした副業が禁止されたという

工場では、勤務中に栄養失調で倒れる同僚も出ていたが、工場幹部は、「仮病だ」と決めつけて殴りつけた。男性は「労働者同士で話せば愚痴が出るため、複数で集まることも禁止された会話も自由でなくなり、『この国には未来がない』と絶望した」と振り返った

男性が暮らした街では当時、餓死者も出るようになっており、「コッチェビ」と呼ばれる子供の浮浪者も増加。若い女性が生活苦から、労働党幹部や貿易商ら金持ち層を相手に、自宅や友人宅を使って売春をすることが広まっていた売春費用は1人わずか20~50元(約400~1千円)だったといい男性は「我が国では汚職が深刻だ。金さえあれば、何でも出来る」と憤った

13年5月に脱北した女性(48)は、北朝鮮北部の慈江道満浦から鴨緑江を渡る時に、見知らぬ20代の兄弟2人と一緒だった。女性も脱北の理由を「食糧難と商売に対する管理が強化されたこと」と説明した。

北朝鮮では、市場で中古衣料を売って、夫と高校生の長男との3人暮らしを支えていた。しかし、12年の後半以降は、食料事情が急速に悪化。市場で売られる食べ物も激減し、「かつて服を買ってくれた人たちも、食べ物を買うのに精いっぱいで、商売が成り立たなくなった売り物の古着も、以前は都市部で簡単に仕入れることができたが、みなが節約するようになり、入手できなくなってしまった」と証言した

朝日新聞デジタル 2016.10.21

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